早大ノート 一覧

Qu’est-ce que c’est que moi?

私のなかで舞ってるものは、
こおろぎでもない、
秋の夜でもない。
南洋の夜風でもない、
椰子樹(やしのき)でもない。
それの葉に吹く風でもない
それの梢(こずえ)と、すれすれにゆく雲でない月光でもない。
つまり、その……
サムシング。
だが、なァんだその、サムシングかとは、
決して云ってはもらいますまい。

<スポンサーリンク>

ひとくちメモ

「早大ノート」の、
1931年制作(推定)の詩篇としては
4番目にあるのが、
Qu’est-ce que c’est que moi? です。

ケスクセ クモア?
と発音するのでしょうか
フランス語です。

あなたの中にあるものは何ですか?
という意味でしょうか。

作品に沿って訳せば、
あなたの中で舞っているものは何ですか?
となるのでしょうか。

富永太郎を知って以来、
小林秀雄をはじめとして、
その周辺の
東大仏文(トウダイフツブン)の学生や
時には教官も……

大岡昇平、
河上徹太郎はじめ、
「白痴群」の同人や

音楽集団「スルヤ」に
結集する音楽家たちでさえ
フランスの文学や哲学に
関心をもたない者はいないというほど、

ヴェルレーヌ
ランボー
ボードレール
マラルメ
ラフォルグ
ベルクソン
ジイド……らへの
熱烈な傾倒は
当たり前でした

「白痴群」の解散を機に、
孤立の道を歩まねばならなかった中原中也も
詩人として立つには、
詩作だけでは
食べていけないことを自覚し
フランス語に
それまで以上の力を注ぎはじめます。

1931年という年は、
2年ほど前に知った
彫刻家・高田博厚が
フランスへ渡りましたし、
この時、
長谷川泰子とともに
東京駅で、
高田を見送ります。

詩人の胸中は
どんなふうだったのでしょうか。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
(萩原朔太郎「純情小曲集『旅上』」)

と似た感情にありながら、
俄然、
手に届く近さにあったのでしょうか。

高田の渡仏直後には
東京外国語学校の
仏語専修科へ入学しました。

フランス語を
詩のタイトルに使った例は
いくつかありますが、
Qu’est-ce que c’est que moi? は、
詩人の心の中の
「サムシング」についての詩であるにもかかわらず、
「サムシング」をフランス語にしませんでした。


<スポンサーリンク>

1 7 8 9 10 11 12 13 43